「耳塞ぎ」という表現は正しくないと思います。
「自閉症」という名称にも問題があると思います。
名が体(態)を表していないからです。
ついでに言えば、「認知症」なんて意味不明な言葉です。日本語として成立していません。教養ある日本人が考えた用語とはとても思えません。
話を戻します。
耳塞ぎをするのは聴覚過敏だから?
本人に確認したのでしょうか?
本当に耳を塞いでいる自閉症児者はどれくらいいるでしょうか?
あなたは騒音を聞きたくなくて、耳に入る音を小さくするために耳を塞ぐ、つまりは耳の穴を塞ぐとき、どうしますか?
握りこぶしを耳に当てますか?
そんなことしませんよね?
普通は手のひらを押し当てると思いますし、耳たぶを前に倒してその上から手のひらを押し当てたらさらに聞こえなくなりますよね?
うちの息子は人差し指一本です。しかも耳の穴ではなく、その前、聴宮というツボ辺りに当てます。
聴宮は聴こえづらさを改善するツボですけど?
そこに指を当てるのは、小さい頃は太鼓が鳴っている時(今は平気で太鼓を叩いています)、あとは、小さい子どもの声が嫌な時、人が大勢いる時、怒る声が聞こえる時、初めての場所に来た時…
確かに音が原因の場合もありますが、そうでないときもあります。
そもそも、耳の前に押したら聞こえなくなるスイッチがあるとは考えにくいですし、自閉症の全員がそこを触るわけでもありません。
共通しているのは、そういう仕草をするのは「嫌だと感じる時」ということになりませんか?
となると、「耳塞ぎ」と呼ばれるものは防御姿勢、嫌だということを伝えるためのボディランゲージ、コミュニケーション手段と考えるのが妥当なのではないでしょうか?
「耳塞ぎ」をしてる人がイヤーマフをしないのは何故でしょうか?
「耳塞ぎ」をしてる人が支援者に何かをしたいと訴える時に手を耳から離しても平気に見えるのは何故でしょうか?
「耳塞ぎ」という用語は、その用語を目にした、耳にした人を、原因は騒音(聴覚過敏)であるという結論にミスリードしてしまいませんか?
追記
イヤーマフを使っていて、自分で着脱する人を知っていますが、うるさいから着ける、静かだから外すということはないようです。交通量のある同じ道の行き帰りで、行きは途中で外して、帰りは耳を塞がずに、耳の上に横向きに当て、ヘッドバンドを額に付け、アクセサリーのようにしていました。暑くなったから外したようです。帰りは日が暮れた後でした。なぜイヤーマフを着けるのか理由を特定できません。帽子をかぶるのと同じような感じがします。帽子は必ずしも日差しが強いからかぶるのではありませんから。
ずっと独り言を言い続けた時にイヤーマフを外さなかったことがあるので、自分の世界に入りたい時、外界をシャットアウトしたい時に着けるという可能性もありますが、絶対にそうとは言い切れない感じがします。